ことわざ、はどうしてことわざとして語り継がれているのか。
それは、芯を喰っているいるから時代が変わっても、人々の共感を得られるからではないだろうか。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」
というが、
昨今、タイパとか、しんどい仕事はしたくないとか、個人個人が発信できる世の中になったせいか、そういう風潮が強くなったように感じる。
まぁ、最も、田端が若い時にでも、同じような事を考えていた同世代は山ほどいただろうから、その比率が増えているのか減っているのかが本当は知りたいところではあるが、、、
さて、本題である。
結論、田端は若い時の苦労を買って出て良かったと思う。
無論、学生時代の苦労は買って出た訳ではなく、降ってきていたのであるがww
社会に出てから、楽な方と苦しい方の二択になった時、必ずといっていいほど苦しい方を選ぶようにした。
当時は許されたのでここに記載するが、家に仕事を持ち帰り、土日で事務仕事をこなし、月曜日から金曜日までは調査に明け暮れる、と決めた1年間を過ごしたり(結果、当時の彼女にふられましたw)、もちろん税理士試験を受験する事も免許もらい待ちでは遅い気がしたので攻めの方を選んだのである。
それ以外の細かい選択も、やはりすべからく、である。
その積み重ねが、今日の田端を築いているのである。
基本的に、苦しい方、苦しい方へ行く「習性」と言えばそれまでで、あえて選択した、という言い方は「かっこつけつぎ」かもしれないが、やはり正解であったと感じる。
なので、若者よ、気持ちはわかる。
楽の方がいい。ただ田端はなんでそこまで頑張るのか、と聞かれるといつもこう答える。
「高いところから低いところはいつでもいける。低いところにいると高いところにはなかなか行けない」と。
楽な方がいいに決まってる。でも「楽」をベースにしてしまうと、詰まってしまったとき、そこから楽になりようがない。後ろ向きな苦しかないのである。
だから、苦労は買ってでもして、自分を磨く、のである。
人生は長いし、自分の想像よりはるかに「想定外」が起こるものだ。
なので、体力気力のあるうちに、思いっきりチャレンジ、苦労をして欲しいと田端は思う。
無駄の様に感じるかもしれないが「尽くした力は無駄にならない」と担任の先生がくれた色紙の言葉(古い?w)を信じて生きてきて、今思うことは同じことである。
少しでも多くの若者に、この言葉が響くことを祈っている。