田端がドクター税務会計事務所を設立する前は、師匠と同じ敷地で業務をしていた。
合同事務所というやつである。
しかし残念ながら、その合同事務所は解散してしまった。
直接的な原因は、費用負担に関して決まっていない事があり、それに対する解釈が所内で分かれたのである。
そこで、リーダーシップを取ってよりベターな方策を、、と師匠が引っ張ってくれていたら今頃どうなっていたであろうか。
という経緯である。
さて、今回はそこではない。
その解散の時に事実無根の噂などが流れ、結局田端はそれを否定したが、非常に後味の悪い別れ方しかできなかった。
「おまえに師匠なんて呼んでもらいたくない」
と師匠にも嫌われて。
でも、税務署から出たばかりの田端に色々と薫陶を授けてくださったのは紛れもなく師匠である。
独立しても日々師匠と心の中で対話。
「どうすればいいんだろうか、、、」
孤独ではあったが、ある意味孤独ではなかった。
さて、先日田端が思ったことは表題の通りであるが
「雨も降らねば地は固まらぬ」(作 田端)である。
色々と師匠に言いたいこともあったし、わかって欲しい事もあった。
しかし田端はその時
「今の自分の思い、考えは、師匠と同じ立場になってからもう一度思い出して、それから言いたい事を言おう」
でと考えて言いたい事をすべて飲み込んだ。
その立場に立ってもないのに何か物申しても、その立場を経験してもない人間が言っても机上の空論、狭い視野から出された「物言い」であると考えたからである。
無論、それはそれで間違ってないと今でも思う。
経営は360度どころか上下も含めて宇宙空間にいるぐらいの感覚で、色々な情報を加味して判断していくが、経営経験が乏しい場合であれば、視野は広くても180度ぐらいであると感じる。 同じ駒を使って同じルールで将棋やチェスをしても、強さが違うのは見えているものや経験が全然違うからであり、経験の差は大きい。
経営を経験している人間と、そうでない人間の間では、あまりにも見えているものが違うので、同じ立場を経験していない人間から何を言われても、見えているものが違いすぎて、耳に入らないのが一般的である。
しかし、である。
そこで言葉を飲み込んで雨を降らさなかったばかりに、砂漠になり、人間関係が途絶えてしまったのである。
もしあの時、言いたい事を言っていれば、 結果的に大嵐となりその後、砂漠になったかもしれないが、何も言わずに砂漠化(人間関係の途絶)は防げたかもしれない。
やらない後悔より、やった後悔という言葉が身に染みる。
未熟でも、半人前でも、あの時言っていれば今頃、どうなってたかな、と思える。
先日、少し大雨と雷雨が通り過ぎて行ったが、その時に、
「雨も降らねば地も固まらぬ」
と思った次第である。
師への感謝だけは忘れまい。。